Un destin La dance ダンスこそわが運命

昨年、日仏協会の会報に寄稿した記事(舞台レビュー)をこちらで特別に公開。この記事を通じて昨年は夢見るような素敵な出会いがありました。
よかったら、ぜひご一読を....


Un destin La Danse LEGRIS GALA

—ルグリガラ 運命のダンサー 

ルグリをこの目でみれる。
バレエを愛する人が彼を特別に想う気持ちと同じく、私にとっても幼い頃から憧れ存在で、日本で踊るのはこれで最後かもしれないと語った彼を、この目で見届けるのだと思うだけで胸がいっぱいになった。
ルグリガラ前夜、幼い頃から今まで愛読してきたバレエ雑誌を取り出すと、表紙には必ずと言っていいほどルグリの名前があった。
それは言うまでもなく常に第一線にいたこと、そして人々に夢を与え続けてきた人であるを物語っている。
世界最高峰のパリ・オペラ座において、長きにわたりオペラ座の頂点であるエトワールを務めあげ、現在はウィーン国立歌劇場バレエの芸術監督して、活躍するルグリ。
元エトワールというという称号は、なんだかしっくりこない。
その違和感を私はうまく言い表せないでいたが、ルグリ・ガラをみて、それがはっきりと分かるようになった。
今を生きるルグリに出会えたからである。
ルグリが私たちのまえに現れたのは、Bプロ1部の最後の演目 ローランプティ振付の「ランデヴー」
ルグリがいや、とある青年が、舞台にあわられた途端、
そこはまるで月明かりに照らされたパリのひと気の少ない橋の上で、運命に翻弄される若者の生き様を、息を飲んで見届けている、そんな錯覚に陥った。
そう、ルグリはいつも一瞬でドラマティックな世界へ誘ってくれる。
わたしはまるで映画をみているかのようなその世界にすっかり魅せられてしまった。
とある青年とファムファタールを象徴するかのようなハイヒールの美女のパ・ド・ドゥ。最後にはその美女により、首筋をナイフで掻き切られ、命尽きるという衝撃的なストーリーだ。
美女を演じたのはパリ・オペラ座元エトワール イザベル・ゲラン。幼い頃から二人が踊る映像や写真をみては、遠きオペラ座の舞台に想いを馳せていた私にとって、今目の前で二人が踊っているということだけで、胸が熱くなるが、そんな熱き思いさえ、浅はかだったと思えるほど、バレエの枠を超越した素晴らしい舞台だった。
命尽きた青年の横で、女はかき切ったナイフを投げ捨て、まるで何事もなかったかのように去っていくシーンが何より印象的である。その姿をライト(橋のうえの街灯の光)が照し、女の影がぼんやりと舞台に映し出されるのが、それがまた美しく、運命の残酷さと無常さをさらに際立たせていた。
歳を重ねたルグリとゲランだからこそ、一瞬で作り上げられるスケール感だった。
ルグリはなぜ、この作品を選んだのか、その会場にいたすべての人が理解していたように思う。
今踊らずにはいられない、そんな作品だったのだと思う。
そして、もう一つ私を虜にさせてくれた作品がルグリ振付の「海賊」の2幕アダージョである。
現在、ルグリが芸術監督を務めるウィーン国立歌劇場のダンサーが踊ったこの作品は、今までみた、どの海賊よりもロマンチックで、生き生きとしていた。
尽きることない、流れるような動きの中で、ひときわ綺麗だったのが、コンラッドとメドーラの幸せを表現するリフト。後半に高度なリフトがちりばめられていて、二人の高揚する気持ちを繊細に描いていた。
それはダイナミックさをうりにする通常のリフトとは一線を画すものである。
男性の肩に、膝を抱えられてリフトされた女性が、そっと男性の額にキスしながら降りる細工などは、これぞルグリと思わせるもので、神がかったように美しいアダージョであった。
どこかヌレエフ版「ロミオとジュリエット」を彷彿させ、ヌレエフの申し子としてオペラ座で活躍したルグリの新境地を垣間見た気持ちになった。
最後に踊った世界初演「Moment」は、本公演のタイトルである「ダンスこそ我が運命」そのものだった。
ポジティブな空気をまとい、新しい世界へ進むルグリをみていると、老いることは進化することのように思う。
豪華絢爛なオペラ座の舞台で舞うルグリ。
振付家として挑戦を続けるルグリ。
気鋭振付家とタッグを組み踊りつづけるルグリ。
唯一無二の存在は、変化を恐れず邁進することで生まれるのかもしれない。
次はどんな彼に出会えるのであろう。
そう思わせてくれるルグリはやはりいつも私の憧れの人だ・・・

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